行政書士が解説する、旅行業法「一営業所一管理者」の原則

2025年10月21日、東京都は旅行サービス手配業者としての新規登録を申請した株式会社Y社に対し、その登録を拒否する行政処分を下しました。この処分の直接的な原因は、同社が選任した旅行サービス手配業務取扱管理者が、既に別の旅行業者である株式会社H社の旅行業務取扱管理者として登録されていた人物であったこと、すなわち、法律で固く禁じられている「兼任」状態にあったことにあります。

この一件は、単なる手続き上の誤りとして片付けられるべきではありません。むしろ、旅行業法の根幹をなす消費者保護と取引の公正性を担保するための、譲ることのできない法的原則を業界全体に改めて突きつける、警鐘と捉えるべきです。一人の管理者が二つの法人を監督するという構造は、旅行業法が定める監督責任体制そのものを形骸化させるものです。

本稿では、この行政処分を起点として、旅行業務取扱管理者(以下、「管理者」)に課せられる「常勤専従」および「兼任禁止」の原則がなぜこれほどまでに重要なのかを法的な側面と実務的な側面から深く掘り下げます。法律の背後にある論理、法令違反がもたらす多岐にわたる危険性、そして事業者が遵守すべき具体的な方策を体系的に解説することを目的とします。

第1章 旅行業務取扱管理者とは?その役割と責任

旅行業務取扱管理者は、単なる資格保有者や名目上の役職ではありません。旅行業法に基づき、各営業所の業務運営全般を管理・監督する権限と責任を負う、法的に定められた監督者です。この国家資格は旅行業界唯一のものであり、その設置義務は、専門性の高い役務を提供する旅行業において、消費者の安全と利益を保護するための根幹的な制度として位置づけられています。

管理者の職務は広範かつ重要であり、その具体的な管理・監督事項は法令で明確に定められています。これには、旅行の企画・作成から契約、実施、そして事後の苦情処理に至るまで、旅行業務のあらゆる段階が含まれます。

この多岐にわたる責任は、管理者が単なる事務処理担当者ではなく、営業所における危険管理の責任者であることを示唆しています。取引条件の不明確さ、不適切な広告、不安全な運送サービスの利用、苦情への不誠実な対応といった、消費者に不利益をもたらしうるあらゆる危険を未然に防ぎ、発生した際には適切に対処することが、管理者に課せられた法的責務なのです。法律の観点から見れば、営業所における業務の適法性と安全性に関する最終的な責任は、この一人(または複数人)の管理者に帰着します。

旅行業務取扱管理者の主要な法的責任

責任範囲 具体的な管理監督業務
契約管理 旅行計画の適法性・安全性の確認、料金表の適正な掲示、旅行業約款の掲示・備置き、取引条件の明確な説明、法に準拠した契約書面の交付
広告・販売促進 誇大広告や誤解を招く表現がないかなど、広告の適正性を監督
安全・旅程管理 運送・宿泊機関等のサービス提供の確実性を確保し、企画旅行が円滑に実施されるための措置(旅程管理)を監督。これには運送事業者の安全基準の確認も含まれる
法令遵守と危機管理 旅行者からの苦情を処理する体制を構築・監督し、適切に対応
記録保持 契約内容に関する重要な事項について、明確な記録を作成・保管
総合的な監督 上記に加え、取引の公正、旅行の安全、旅行者の利便を確保するために必要なあらゆる事項を管理・監督

第2章 なぜ「常勤専従」と「兼任禁止」が定められているのか

管理者の重要性を担保するため、旅行業法は厳格な選任規則を定めています。この規則の核心が、「常勤専従」と「兼任禁止」の原則です。

法律の条文と行政解釈

まず、旅行業法第十一条の二は、「営業所ごとに、一人以上の…旅行業務取扱管理者を選任」しなければならないと規定し、「一営業所一管理者」の原則を定めています。

興味深いことに、法律の条文自体には「常勤専従」という文言は直接的には現れません。しかし、これは全ての登録行政庁における行政指導や登録申請の手引きで一貫して求められる、確立された運用上の要件です。これは、前述の広範な管理監督責任を実質的に果たすためには、管理者が当該営業所の業務に常時、専念して従事していることが不可欠であるという行政解釈に基づいています。

一方で、「兼任禁止」については、同法第十一条の二第四項が「旅行業務取扱管理者は、他の営業所の旅行業務取扱管理者となることができない」と明確に規定しています。これは、解釈の余地のない、直接的な法的禁止事項です。

この法律の規定と行政解釈は、単なる形式的な分離を求めているわけではありません。その背後には、管理者に求められる監督責任の質を確保するという、より深い目的が存在します。規制当局は、管理者が二つの役職を名目上持つことだけでなく、一人の人間が一つの営業所の業務に物理的にも精神的にも専心できない状態そのものが、法の精神に反すると考えています。したがって、今回の事例における違反は、単一条項の技術的な抵触に留まらず、旅行業法が全体として目指す「専心的な監督体制」の構築という根本的な要請を満たしていないと判断されたのです。

なぜ、これほど厳格なのか?

この厳格な規則の背景には、主に三つの理由があります。

  1. 物理的・時間的な監督の担保: 管理者の職務は、予期せぬ問題への即時対応、従業員への日常的な指導、消費者からの問い合わせや緊急事態への対応など、その場にいて初めて十全に果たせるものが大半です。兼任や非常勤では、この即応性と監督の継続性が著しく損なわれます。
  2. 「名義貸し」の防止: この規則は、資格を持つだけで実務には一切関与しない、いわゆる「名義貸し」行為を直接的に防ぐための強力な対抗策です。名義貸しとは、具体的には資格保有者を実質的に雇用せず、その名義だけを借りて登録要件を満たそうとする違法行為を指します。管理者に勤務実態がないまま登録することは、規制当局によって「不正の手段により登録を受けた」と見なされ、発覚した場合には登録取消しといった極めて重い行政処分の対象となります。このような監督者不在の状態は、法令遵守の体裁を装いながら、実際には旅行計画の妥当性確認や不当な旅程変更といった危険から消費者を守る機能を完全に麻痺させる、極めて悪質な行為です。
  3. 責任の所在の明確化: 「一営業所一管理者」の原則は、問題が発生した際に誰が監督責任者であるかを明確にします。規制当局や消費者にとって、責任の所在が一義的に定まることは、迅速な問題解決と説明責任の確保に不可欠です。兼任を認めると、この責任関係が曖昧になり、監督が手薄になる危険性が高まります。

なお、法律は極めて限定的ながら例外も設けています。地域限定旅行業者が、営業所間の距離が40km以内で、かつ前事業年度の取引額の合計が1億円以下といった厳しい条件を満たす場合に限り、管理者の兼任を認めています。しかし、この例外規定が非常に厳格であること自体が、原則としての兼任禁止がいかに重要であるかを逆説的に示しています。

第3章 東京都の行政処分から見る違反の実態

今回の東京都による行政処分は、前章で解説した法原則が実務上どのように適用されるかを示す、具体的な事例です。

事案の詳細な分析

  • 当事者: 新規登録申請者である株式会社Y社と、問題となった管理者が既に登録されていた株式会社H社。
  • 申請内容: Y社は、旅行サービス手配業の新規登録を東京都に申請しました。
  • 発覚の経緯: 登録申請の審査過程で、東京都はY社が選任した管理者が、既にH社の管理者として登録されている同一人物であることを特定しました。
  • 法的違反: この状態は、旅行業法第十一条の二第四項が定める兼任禁止規定への明白な違反でした。
  • 行政処分: これを受け、東京都は旅行業法第二十六条第一項を適用し、登録を拒否しました。なお、東京都において記録が公表されている2015年以降、新規登録申請に対する拒否処分はこれが初めてとなります。この条項は、申請者が第十一条の二の規定による管理者を「確実に選任すると認められない」場合に登録を拒否できると定めています。

この事例が示す重要な点は、規制当局が法令違反を事後的に摘発するだけでなく、登録審査という入り口の段階で、積極的にこれを検知し、未然に防ぐ機能を有しているということです。申請書類を受動的に受け付けるのではなく、管理者の登録状況といった重要事項を能動的に検証していることがうかがえます。これは、登録管理者の情報を横断的に照会できる情報基盤や仕組みの存在を示唆しており、事業者がこの規則を潜り抜けようと試みても、発覚する可能性が極めて高いことを意味します。この制度設計は、違反行為に対する強力な抑止力として機能しています。

第4章 法令違反が引き起こす事業上のリスク

登録拒否という処分は、事業を開始する前の段階での一つの結末に過ぎません。既に事業を営んでいる旅行業者が管理者の兼任禁止等の規定に違反した場合、その影響はさらに深刻かつ広範囲に及びます。

行政処分

既存の事業者に対する処分は、違反の程度に応じて段階的に重くなります。

  • 業務改善命令: まず、法令遵守体制の是正を求める命令が出されます。
  • 業務停止命令: 改善が見られない場合や違反が悪質な場合、一定期間の営業停止が命じられます。
  • 登録の取消し: 特に「不正の手段により登録を受けた」と判断される場合、例えば名義貸しが発覚したケースなどでは、最も重い処分である登録取消しに至る可能性があります。登録が取り消されれば、その事業者は旅行業を営む資格を完全に失います。

事業・信用の危険

  • 信用の失墜: 行政処分は公表されるため、消費者、取引先企業、提携する取引先からの信用を一夜にして失うことになります。
  • 業務の麻痺: 法律上、営業所に適法な管理者が不在の状態では、新たな旅行契約を締結することができません。違反が発覚し、後任の管理者が選任されるまでの間、営業所の収益活動は完全に停止します。

民事・財務上の危険

管理者の選任義務違反は、単なる行政法規上の問題に留まりません。それは、企業の法的基盤全体を揺るがす「法令遵守の連鎖的破綻」を引き起こす可能性があります。一つの違反が、事業運営の正当性を根底から覆し、予期せぬ法的・財務的・信用上の破滅的な結果を招きかねないのです。

例えば、旅行中に重大な事故が発生した際、その営業所が適法な管理者を置いていなかったことが発覚すれば、それは事業者の安全配慮義務違反を問う上で極めて不利な事実となります。民事訴訟において、裁判所はこれを重過失と判断する可能性が高く、損害賠償額が増大する恐れがあります。さらに、保険会社がこれを契約上の告知義務違反や重過失とみなし、賠償金の支払いを拒否する事態も想定されます。このように、管理者の選任という一つの法令違反が、事業の存続そのものを脅かす致命的な危険へと発展するのです。

第5章 旅行業者が実践すべき法令遵守のポイント

特に中小規模の事業者にとって、有資格者を確保し、常勤で雇用し続けることが経営上の負担となりうることは事実です。しかし、その困難さが法令違反を正当化する理由にはなりません。むしろ、事業の持続可能性を確保するために、より積極的な遵守体制の構築が求められます。

真の法令遵守とは、登録時の一度きりの審査を通過することではありません。それは、企業の文化、契約、人事戦略に深く根ざした、動的かつ継続的な過程でなければなりません。

実践的な遵守徹底策

  1. 採用時の厳格な事前調査: 管理者候補者に対し、他の事業者で管理者として登録されていないことを書面で申告させるとともに、可能な範囲で登録行政庁に照会するなど、独立した検証手続きを導入します。
  2. 雇用契約における明確な義務付け: 管理者の雇用契約書に、「常勤専従」であること、および他の事業者で管理者として登録されることが契約違反であり、即時解雇事由となることを明確に記載します。
  3. 法令遵守の気風の醸成: 経営層が率先して、法令遵守を形式的な負担ではなく、事業の信頼性を高める「経営資産」であるとの認識を社内に浸透させます。管理者だけでなく、全従業員を対象に、管理者の役割の重要性に関する定期的な研修を実施することが、業界全体の要請とも合致しています。
  4. 内部育成と後継者計画: 外部からの採用にのみ依存するのではなく、将来性のある既存従業員が国家試験に合格するための支援を行うなど、内部での人材育成に投資します。これは、帰属意識の高い人材を確保し、安定した管理者供給体制を構築する上で有効な方策です。
  5. 継続的な研修の徹底: 法律で義務付けられている5年ごとの管理者定期研修の受講を徹底させます。これには最新の法令や規則遵守に関する項目も含まれており、管理者の知識と意識を常に最新の状態に保つ上で不可欠です。

法令遵守が事業の信頼を築く

本稿で分析したように、「一営業所一管理者」の原則、そしてそれを支える「常勤専従・兼任禁止」の規則は、決して恣意的な規制ではありません。それは、専門的な監督を確保し、責任の所在を明確にし、そして何よりも旅行者を保護するために設計された、旅行業法の根幹をなす柱です。

株式会社Y社に対する登録拒否処分は、規制当局がこの原則を例外なく、厳格に執行するという断固たる姿勢を明確に示したものです。

旅行業界の事業者にとって、この基本的な規則の遵守は、倫理的かつ合法的に事業を運営するための最低限の基準です。魅力的な旅行商品や優れた役務も、その土台となる消費者の信頼がなければ成り立ちません。そして、その信頼は、全ての営業所に、資格を有し、その場にいて、業務に完全に専念する旅行業務取扱管理者が存在することから始まるのです。

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